人・ひと・hito

人は皆、人の役に立つことで喜びを感じ、

自らの個性と能力を発揮して人とつながる時、

幸せを感じる。

戸ケ里しめ縄づくり体験  平成261226

 ~子や孫に伝える日本の文化~  

古賀こども塾代表 久野 潔さん

 ~人情にふれ、自然に親しみ、ふるさとを愛する人づくり~

  地域住民(おじいちゃん、おばあちゃん)が先生です。

お寺のお堂で勉強会
お寺のお堂で勉強会

 平成15年度に「地域住民が学校と連携して、地域の子どもを見守り育む」という目的で活動をスタートし、今年で13年目になります。

 

 実施日時:年間8回、原則土曜日の午前中

 実施場所:東楽寺(白石町古賀)ほか 

 塾 生:古賀・原田地区の小学生18名 サポーター10

 基本日程6:30~  7:00 坐禅修行(東楽寺和尚様の指導)

      7:10~  7:55 勉強会(紙芝居、平家物語暗誦ほか)

      8:05~  8:45 朝食会(おにぎり、沢庵、梅干し、みそ汁)

      9:0012:00   生活体験学習

 

古賀の獅子舞にもチャレンジ!
古賀の獅子舞にもチャレンジ!

生活体験学習(平成27年度)

  627() お手玉、紙飛行機大会(東楽寺)

  725() 買い物ポンゲーム(東楽寺)

  820()   宿泊訓練(玉泉坊)

 21() 

10月31日() ハゼ釣り(有明干拓堤防)

1114() 大豆運びレース(東楽寺)

                                           1226() もちつき(東楽寺)

                                            130() 有明いろはカルタ大会(東楽寺)

                                            227() ひな人形折り紙教室(東楽寺)

菰(こも)織り名人 渕上シツエさん(吉村)

 

 平成24年9月にリニューアルした本会ホームページのトップを約2年間飾っていただいていた渕上さんが、平成26年8月29日に享年90歳でご逝去なさいました。心よりご冥福をお祈りいたします。

お天道様の下で織る。その音だけが静かに響きます。
お天道様の下で織る。その音だけが静かに響きます。
織り上がった菰 なつかしい香りです。
織り上がった菰 なつかしい香りです。

  吉村にお住まいの渕上シツエさん(88歳)は、菰織りの名人です。そろそろお盆という八月初め、「織って見しゅうかあ。」と慣れた手さばきで「盆ござ」を織ってくださいました。

 菰とは沼や川、水路などに自生するイネ科の長い草、真菰(まこも)のことです。また、それで織ったござやむしろのことを言います。今はわらで作られるとのことですが、渕上さんは近くの水路に自生する真菰を自分で刈り取り、夜なべして草丈を揃え、外庭(ほかいま)に干すという昔ながらの方法を守っています。

 お釈迦様が菰で編んだむしろ(寝床)に病人を寝かせて治療されたという仏話が日本に伝わり、お盆に菰の「盆ござ」を奉げるようになったと云われています。盆ござの素朴な香りと風合い、そして渕上さんの勤勉さに、自然を大切にしてきた日本人の「心」と「伝統」を感じました。

(平成23年8月2日取材)

 渕上さんとお会いし、外庭に干してあった真菰を見ていたら、「葉隠(はがくれ)」の中の一節を思い出しました。白石を舞台にしたそのお話は、確か子どもの頃に時代劇ドラマ「水戸黄門」で見た記憶があります。

 

「葉隠」とは?

 江戸時代中期、享保元年(1716)に出された武士道書。正しくは「葉隠聞書」。   別名「鍋島論語」。

 肥前国佐賀鍋島二代藩主の光茂の家臣 山本常朝(やまもと じょうちょう/16591719)が武士としての心得など口述したことを、門人の田代陣基(たしろ つらもと/1678~1748)が7年の歳月をかけて書き記したもの。全11巻からなる。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句は特に有名。

葉隠聞書第四の四十一

原文

勝茂公白石御鷹野に御出でなされ、殊の外御凍えなされ候故、百姓家に御入り、火を御あたりなされ候へば、姥一人居り申し候が、「今朝は一しほ寒く候間、御あたり候へ」と申し候て、藁をくべ申し候。暫く御あたり候て、御禮仰せられ、御出でなされ候節、庭に米ひろげ置き候を、御越えなされ候。姥立腹いたし、「それは殿に上げ申す米にて候。勿體なき事をする人かな。」と云ひて、箒にて御足を打ち申し候に付、「御免あれ」と仰せられ、御出でなされ候。御歸りなされ候てより御感なされ、白石十人百姓の内に御加へなされ候由なり。

                            出典:岩波文庫「葉隠(上)」和辻哲郎・古川哲史校訂 

現代語訳

 勝茂公(初代藩主)が白石の鷹狩り場に出かけられことのほか体が凍えたので(通りがかった)百姓の家をお訪ねになり暖を取ろうとなさったところ、その家には老婆が一人おり、「今朝はひとしお寒いので、火に御あたりなさいませ。」と言いながら(わら)をくべた。勝茂公はしばらくその火にあたってから、老婆に御礼を申されて外に出た時庭に広げ置いてあった米をうっかり跨(また)いでしまったのである。それを見た老婆は腹を立てて、「それは殿(勝茂公)に差し上げる米ですよ。何とけしからんことをする人だ!」と云って箒(ほうき)で勝茂公の足を打ったので、「ご免あれ。」と申されながら、その家を後にされた。勝茂公はお帰りになってから、(老婆の気骨ある態度にいたく)感激なされ、その老婆を白石十人百姓の内にお加えになったとのことである。                             訳:原﨑

 気骨のある老婆は、何だか渕上さんみたいな人ではなかったかと思うのです。